「山月記 / 中島敦 」テスト予想問題 パート②
はじめに

中島敦「山月記」。高校の教科書でおなじみの教材です。このページではテストの予想問題を紹介していきます。

李徴の生い立ちに関する問題

隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね

問:「名を虎榜に連ね」とは具体的に誰がどうなったことを表現しているのか。

ヒント(タップすると出ます)
虎榜」とは上級官吏登用試験(国の役人になるための試験)の合格者名簿のことです。
答え(タップすると出ます)
李徴が上級官吏登用試験に合格したこと。

ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く

問:「性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く」とあるが李徴の性格をわかりやすく書きなさい。

ヒント(タップすると出ます)
「性」は性格「狷介」は人と仲良くできないこと「自ら恃むところが厚い」とはプライドが高いということです
答え(タップすると出ます)
人々と仲良くできず、プライドが高い性格

賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交わりを絶って、ひたすら詩作にふけった。、

問:「賤吏に甘んずるを潔しとしなかった」とはどういうことか。分かりやすく説明しなさい。

ヒント(タップすると出ます)
「賤吏」は身分の低い役人。「甘んずる」は与えられたものとして満足すること。「潔しとしない」は信念として許すことができないということ
答え(タップすると出ます)

身分の低い役人として満足することを自分の信念として許すことができなかったということ。

下吏となって長くひざを俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年にのこそうとしたのである。

問:李徴は官吏を辞めてどうなりたいと思ったのか書きなさい。

ヒント(タップすると出ます)
「名を遺す」とは後世に名が残るくらい有名になることです。
答え(タップすると出ます)

詩人として後世に残るくらい有名になりたいと思った。

しかし、文名は容易に揚らず、生活は日をうて苦しくなる。李徴はようやく焦躁しょうそうに駆られて来た。

問:「李徴はようやく焦燥にかられてきた」とあるが、なぜ彼は焦りだしたのか。

 

ヒント(タップすると出ます)
「文名が揚らず」とは有名になることです。
答え(タップすると出ます)

詩人としてなかなか有名になれず、生活も苦しくなってきたから。

このころからその容貌ようぼう峭刻しょうこくとなり、肉落ち骨ひいで、眼光のみいたずらに炯々けいけいとして、かつて進士に登第とうだいした頃の豊頬ほうきょう美少年おもかげは、何処どこに求めようもない。

問:「美少年」とは誰のいつの頃の姿を言っているのか。

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「進士に登第」とは官吏になるための試験に合格することです。
答え(タップすると出ます)

進士に合格した頃の李徴。

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